- TOP >
- 社員インタビュー >
- 挑戦のその先 OEタイヤ開発部
2003年 入社
OEタイヤ開発部理工学部機械システム工学科卒
OEタイヤ開発部理工学部機械システム工学科卒
入社後タイヤ開発部門に配属になり、それから8年ほどは市販用タイヤの設計開発に携わりました。担当したのは、主に北米市場をターゲットにしたSUV/ピックアップトラック用の大口径タイヤ。米国タイヤ工場(TNA)で生産される多くの製品の開発に関わりました。製品は多くのユーザーの支持を集め、北米市場は今や当社の重要な収益の柱に成長。その足がかりを築く重要な仕事に携わることができたのは、大きな誇りでもあります。
その後2010年、自動車メーカー向けに、新車に装着する純正タイヤを設計開発するグループに部署内異動しました。以来ずっと新車向けタイヤの開発に携わっています。入社して約15年。市販車用タイヤの開発と純正タイヤの開発の両方に携わることができたのは、タイヤ開発の技術者としてとても貴重な体験でした。

新車向け純正タイヤの開発に携わって8年余り。これまで海外も含めて、世界中の自動車メーカーと仕事をしてきました。手がけた車種も、軽自動車から一般の乗用車、SUV、トラックまでさまざま。聞けば多くの人が分かるものばかりです。また求められるタイヤの性能や評価の基準は自動車メーカーによって違い、それらをひとつ一つ分析していくと、そのメーカーのクルマづくりに対する姿勢や設計思想というものが浮かび上がってきます。
学生時代から大のクルマ好きだった私にとって、世界の名だたるメーカーの考え方やスタンスに触れることができるのは、たまらない魅力。タイヤ開発の仕事には、そんな面白さもあります。今担当しているのは、国内と海外のメーカーの開発案件がひとつずつ。技術者のまとめ役である「担当リーダー」を任されてからは、若い技術者の指導育成に時間を割くことが多くなりましたが、一人の技術者としてこれからもずっと開発の最前線に立ち続けたいと思っています。
▲ページTOPへ
今から3年ほど前、ある欧州の自動車メーカーが、アジアで新たなタイヤの供給先を見つけるために、試作タイヤで性能を競う技術コンペを開催しました。その欧州メーカーは、世界で最も性能要求が厳しいことで業界では知られた存在。それにトライできるチャンスなど、滅多にありません。闘志をかき立てられた私は、ジッとしていられなくなり、「ぜひ、やらせてほしい」と上司に直談判。上司もその思いを受け止めてくれて、晴れてコンペに参加することになりました。コンペでは、私の設計したタイヤが最高評価を獲得。本格生産に向けた開発が始まりましたが、メーカーの要求レベルは過去に一度も経験がないほどの過酷さ。どこから手をつけていいのか見当もつきません。仮説を立て、試作品をつくり、スペインまで出かけてテストしては課題を見つけ、改善していくという繰り返し。サンプルタイヤを完成させたのは、スタートから3年後のことでした。
最終的には、さまざまな事情から開発を途中で断念せざるを得なくなりましたが、それでも開発に熱中した3年間は、15年余りの私のキャリアを通じて最大の挑戦だったことに変わりはありません。勝利の美酒に酔う楽しみは、次の機会までとっておこうと思います。
3年余りにおよんだ挑戦は、ついに実を結ぶことなく終わりましたが、そこで得たものは決して少なくはありません。特に、今まで他の誰も経験したことのない未知の領域に踏み込み、どうすればタイヤの運動性能を高めることができるか、さまざまなデータやノウハウを吸収し、社内に蓄積できたのは大きな収穫だったと思っています。それがすぐに次の製品開発に生かせるわけではないとしても、きっといつか役立つ時がくるはず。先駆けの役割を果たすことにこそ、新たな挑戦の意味があるに違いありません。
また一人の技術者としても、成長の良いキッカケになりました。開発では、そもそもの「言い出しっぺ」である私が担当者としてすべてを任され、材料開発部や先行技術開発部など関連部署を連携しながら、アイデアの起案から試作、評価、改善までの実務を一貫して手がけました。大きな責任を与えられ、個人の裁量で開発を進められるのは、TOYO TIREならではの魅力。それを、あらためて感じさせられた3年間でもありました。
▲ページTOPへ


学生時代は、研究室でソーラーカーづくりに熱中したほどのクルマ好き。社会人になってからも、マイカーを改造して楽しんでいました。でも家庭を持った今は、休日ももっぱら家族サービス。小学校6年生の長男がバレーボールチームに所属していて、練習や遠征に一緒についていったり、親バカしてます(笑)。下の長女も、小学校に上がったばかり。仕事がどんなに忙しくても、家族と過ごす時間だけは大切にしています。
▲ページTOPへ