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- 挑戦のその先 材料開発部
1997年 入社
材料開発部大学院工芸科学研究科高分子化学専攻
材料開発部大学院工芸科学研究科高分子化学専攻
1年間におよぶ工場やタイヤ試験場での実習を経て、現在の部署に正式配属されたのは入社2年目。その後は、一貫して「タイヤ補強材」の研究開発に携わってきました。最初の数年は測定や評価分析が中心で、その後開発業務の担当へ。タイヤ設計部門やサプライヤとの折衝など、仕事の幅が大きく広がりました。大きな転機となったのは、入社10年目に米国タイヤ工場(TNA)建設プロジェクトに関わり、タイヤ補強材をゴム被覆するカレンダー工程の評価と技術指導で渡米したこと。
それからというものTNAの設備拡張やマレーシア工場の立ち上げなどの仕事で、日本と現地を行ったり来たり。中国工場にも、材料グループの技術アドバイザーとして1年半ほど駐在しました。任期を終えて、中国から帰国したのは2016年。今振り返ると、この10年のうち半分を海外で過ごしたことになります。

自動車タイヤがゴムでできていることは、みなさんもご存知でしょう。でもタイヤの原材料は、実はゴムだけではありません。直径0.2mm~0.3mmの細いピアノ線を撚り合わせたスチールコードや合成繊維などの「タイヤ補強材」が、タイヤの骨格や形状を保つために重要な役割を果たしているのです。そのタイヤ補強材の研究開発にあたる技術者をチームとしてまとめ、タイヤ設計部門との調整や技術者へのアドバイスを行ない、タイヤ特性に適した補強材の開発を推進するのがグループリーダーとしての私の仕事です。
私自身は、研究室で試作をしたり、それを実験で評価をしたり、手を動かしてモノをつくるのが大好きな性分。リーダーになったことで研究開発の実務を離れざるをえないのはちょっぴり残念な気もしますが、次代を担う人材育成もリーダーとしての大事な責務。そう自分に言い聞かせて、今は若いメンバーたちの指導育成に力を注いでいます。
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21年のキャリアを通じて最大の挑戦は、日本を離れ、海外に行って仕事をすることでした。TNAのプロジェクトで初めて渡米した時は、英語もろくすっぽ話せないまま。行く前は「責任を果たせるだろうか」という不安でいっぱいでしたし、マレーシアや中国の工場に赴任した時は、日本の生活文化や価値観との余りの違いに驚き、戸惑い、日本では到底起こりえない突発の出来事が毎日のように起きる中、どう対処していいのかさえ分からずに試行錯誤することもしばしばでした。自分の専門領域以外のところで質問を受け、あわてて国内工場の担当者に電話して確認するなんていうことも(笑)。それでも何とか乗り切ることができたのは、「なんとかなるさ」という生まれもっての楽観的な性格もありましたが、仲間意識が強く、困ったことがあると互いに支えあうTOYO TIREの社風も支えになりました。
海外での経験は、日本という限られたワクの中では決して得ることのできない多くのものを与えてくれたと思っています。例えば人とのつながり。海外工場の現地スタッフと仕事をする中で、それまで国内だけに限られていた人のネットワークが世界に広がり、同じTOYO TIREグループで仕事をする仲間同士という連帯感や信頼関係を育むことができました。それは私にとって、目に見えないけれど大切な「財産」。今でも仕事で分からないことや疑問に感じたことがあると現地に問い合わせ、力になってくれます。
また研究所とはまったく異質の製造現場を経験したことで研究開発が担うべき役割や意味というものも再確認することができたし、異なる文化や価値観と触れ合うことで視野が広がって、考えも柔軟になったと思います。それが自分を成長させ、リーダーとして必要な資質を高めてくれていると信じています。事業のグローバル化がますます進むTOYO TIREでは、海外に出て活躍するチャンスが、これからいくらでもあります。年齢やキャリアは関係ありません。私が初めて渡米したのは35歳の時でしたが、今では20代後半で海外赴任する人もめずらしくありません。TOYO TIREという「ステージ」で、みなさんも自分という人間を大きく成長させてください。
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学生時代からモータースポーツが大好きで、よくレースを見に行きました。TOYO TIREを就職先に選んだのも、モータースポーツに関係する仕事がしたいと思ったからです。社会人になってからはレースを見に行く機会も減りましたが、渡米中に全米No.1レース「NASCAR」を観戦したり、マレーシア滞在中にF1を見に行ったり、滅多にできない経験もしました。海外に出ると、こんな機会に恵まれることもある。何事にも挑戦することが、やっぱり大切ですよね(笑)。
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